さよならブルートレイン(TДT)ノ
ブルートレイン「あさかぜ(東京-下関)」と「さくら(東京-長崎)」が、今月末を持って廃止されるそうです。
わざわざ寝台列車なんか乗らなくっても今は新幹線や飛行機でスピーディーに移動できるし、安上がりにしたければ高速バスがあるもんねぇ…。
時代の流れなんでしょうが、こういう話を聞くとなんだかとっても淋しくなってしまいますね。
みなさんは、ブルートレイン乗ったことありますか?
わたしは何度か乗ったことがあります。
高校の頃に部活の関係で、数回長崎に行ったんだけど、その時に乗りました。
「あかつき」と「さくら」だったかな?
ちょっと記憶曖昧。
その頃は、電車なんかよりも友達とワイワイやってる事に興味があったのであんま覚えてないや^^;
ブルートレインの旅で一番印象に残っているのは19歳の時のこと。
当時私は、地元で銀行員なんぞやっていたのですが、仕事や人間関係で相当テンパってました。(具体的にどんなことで悩んでたかは忘れたw)
ある金曜日の夜 仕事が終わった後、発作的にJRに飛び乗り京都駅まで行き、
「とにかくどこでもいいから、遠くに行きたい!
南でも北でもいい。
最初に来た寝台特急に乗って、行けるところまで行ってやるっ!」
などと行き当たりばったりな事を思い立ち、ブルートレインに飛び乗ったのでした。
…
わたしが乗ったのは、京都発函館行きの「日本海」という列車です。(多分。記憶曖昧)
発作的に乗ってしまった後、少しづつ気持ちが落ち着いて来て、ボロボロといっぱい泣きました。
泣きながら車窓から夜の景色を見ていたら、岐阜(?)のあたりでちょうど花火大会をやっていて、涙で花火がにじんで見えたのを今でも鮮明に覚えています。
B寝台だったからか、周りにもたくさんお客さんが乗っていて、初めて会った者同士なのに、気安く話しかけてくれて、いろんな話をしました。
これからどこに行くとか身の上話とか…。
その時、ご一緒した人に以前は青函連絡船の船長さんだった…という人がいました。
船を下りてからは青森でりんご農家をやっていたんだけど、台風の被害でりんごはかなりの損害を被ったので、今は(その当時ね)ビールの原材料になるホップ農場をやってるというお話でした。
そんな話を聞きながら、長い青函トンネルを抜けたのもすごく不思議な巡り合わせだったなーと思います。
その時は、いっぱいいっぱいだったので全然そこまで考えが及ばなかったんだけど、あんな風にいろいろ話しかけてくれたのは、ひょっとしたら私が自殺しに行くんだと思われてたのかも
その時の私って、寝台列車に乗ってるにも関わらず、スーツにハイヒールって格好だったしなぁw
しかも女1人で、寝台で函館までってめっちゃ怪しいよね?
まぁ自殺しようなんてことは、これっぽっちも考えてなかったので、函館に着いたら、カニたっぷりの函館朝市ラーメンとオルゴール館と函館山の景色を堪能して、さっさと飛行機で帰宅しましたけどw
列車に長時間揺られているうちに、いろいろなわだかまりや悩みが解けてなくなってたみたい。
1人になってじっくり考える時間が必要だったのかもね。
今となってはいい思い出になりました。
わざわざ寝台列車なんか乗らなくっても今は新幹線や飛行機でスピーディーに移動できるし、安上がりにしたければ高速バスがあるもんねぇ…。
時代の流れなんでしょうが、こういう話を聞くとなんだかとっても淋しくなってしまいますね。
みなさんは、ブルートレイン乗ったことありますか?
わたしは何度か乗ったことがあります。
高校の頃に部活の関係で、数回長崎に行ったんだけど、その時に乗りました。
「あかつき」と「さくら」だったかな?
ちょっと記憶曖昧。
その頃は、電車なんかよりも友達とワイワイやってる事に興味があったのであんま覚えてないや^^;
ブルートレインの旅で一番印象に残っているのは19歳の時のこと。
当時私は、地元で銀行員なんぞやっていたのですが、仕事や人間関係で相当テンパってました。(具体的にどんなことで悩んでたかは忘れたw)
ある金曜日の夜 仕事が終わった後、発作的にJRに飛び乗り京都駅まで行き、
「とにかくどこでもいいから、遠くに行きたい!
南でも北でもいい。
最初に来た寝台特急に乗って、行けるところまで行ってやるっ!」
などと行き当たりばったりな事を思い立ち、ブルートレインに飛び乗ったのでした。
…
わたしが乗ったのは、京都発函館行きの「日本海」という列車です。(多分。記憶曖昧)
発作的に乗ってしまった後、少しづつ気持ちが落ち着いて来て、ボロボロといっぱい泣きました。
泣きながら車窓から夜の景色を見ていたら、岐阜(?)のあたりでちょうど花火大会をやっていて、涙で花火がにじんで見えたのを今でも鮮明に覚えています。
B寝台だったからか、周りにもたくさんお客さんが乗っていて、初めて会った者同士なのに、気安く話しかけてくれて、いろんな話をしました。
これからどこに行くとか身の上話とか…。
その時、ご一緒した人に以前は青函連絡船の船長さんだった…という人がいました。
船を下りてからは青森でりんご農家をやっていたんだけど、台風の被害でりんごはかなりの損害を被ったので、今は(その当時ね)ビールの原材料になるホップ農場をやってるというお話でした。
そんな話を聞きながら、長い青函トンネルを抜けたのもすごく不思議な巡り合わせだったなーと思います。
その時は、いっぱいいっぱいだったので全然そこまで考えが及ばなかったんだけど、あんな風にいろいろ話しかけてくれたのは、ひょっとしたら私が自殺しに行くんだと思われてたのかも
その時の私って、寝台列車に乗ってるにも関わらず、スーツにハイヒールって格好だったしなぁw
しかも女1人で、寝台で函館までってめっちゃ怪しいよね?
まぁ自殺しようなんてことは、これっぽっちも考えてなかったので、函館に着いたら、カニたっぷりの函館朝市ラーメンとオルゴール館と函館山の景色を堪能して、さっさと飛行機で帰宅しましたけどw
列車に長時間揺られているうちに、いろいろなわだかまりや悩みが解けてなくなってたみたい。
1人になってじっくり考える時間が必要だったのかもね。
今となってはいい思い出になりました。